この投稿をInstagramで見る
サッカーにおいて「シティズン」という言葉を耳にすることがありますが、これは一体何を指すのでしょうか?この言葉は、プレミアリーグを代表するクラブの一つ、マンチェスター・シティFCのファンたちを指す愛称です。本記事では、「シティズン」とは何か、その由来とマンチェスター・シティについて解説します。
ポイント
- マンチェスター・シティFCのファンを指す愛称であること
- シティズンの語源
- シティズンの有名人
- クラブの歴史と文化
スポンサーリンク
目次
サッカーのシティズンとは?
- シティズンとは?
- 愛称の由来
- マンチェスターシティの愛称
- マンチェスターシティファンが少ない理由
- 有名なシティズン
- ギャラガー兄弟
シティズンとは?
シティズンは、イギリスのプレミアリーグに所属するマンチェスター・シティFCのファンの愛称です。この愛称が使われるようになったのは、クラブの公式ニックネーム「シティ」から来ています。そのため、シティズンとは「都市の住民」という意味の英語から派生しており、チームを支える地元の人々を指す言葉として広まりました。
マンチェスター・シティは、世界中にファンの多いマンチェスターユナイテッドと比べて、地元マンチェスターに特に人気があるといわれています。そして伝統的にマンチェスター地域の住人や、長年にわたりチームを支持しているファミリーが「シティズン」と自称することがあります。しかし、マンチェスター・シティが国際的な成功を収めるにつれ、全世界から新たなシティズンが増え続けています。
ただ、このクラブは非常に多くの投資を受けており、その結果として高価な選手の獲得や大規模な施設の整備が行われています。このような背景から、一部では「お金で成果を買っている」との批判もあります。
愛称の由来
この投稿をInstagramで見る
「シティズン」という言葉は、もともと英語で「市民」を意味し、マンチェスターという都市の住民、つまり地元の人々を指すことから派生しました。サッカークラブがその地元コミュニティの一部として成長していく過程で、ファンたちもまたその一員と見なされるようになり、自然と「シティズン」という愛称が浸透していったのです。
マンチェスターシティの愛称
マンチェスターシティ自体の愛称は何と呼ばれているのでしょうか?
現地のメディアでは、クラブは通常「Man City」と表記されます。BBC、UEFA、ITV、Mirrorなどの公式サイトやテレビ放送でこの略称が頻繁に使用されています。例えば、BBCのスポーツセクションやUEFAのチャンピオンズリーグのページでは、マッチレポートやチーム情報で「Man City」という表記が確認できます。
大のファンであると公言するリアム・ギャラガーも、彼のインタビューや公演で「マンシティ」という表現を用いており、彼のような著名人が使用することで、この愛称はさらにファンの間で定着しています。
マンチェスターシティファンが少ない理由
この投稿をInstagramで見る
マンチェスターシティは、近年で非常に力をつけてきたサッカークラブですが、日本ではファンの数が少ないと言われることがあります。これにはいくつかの理由が考えられますが、主には歴史的な背景と地域内でのライバル関係が影響していると言えるでしょう。
まず、マンチェスターシティは長い間、地元ライバルであるマンチェスター・ユナイテッドの影に隠れていました。マンチェスター・ユナイテッドは多くの国際的な成功を収めており、それに比べるとシティの成績はかつては目立たないものでした。そのため、地元のサポーターの間でもユナイテッドの方が人気があるという状況が長らく続いていました。
また、2008年のクラブ買収以降、シティは多額の投資を受けて急速に力をつけ、トップクラブの一角に躍り出ました。しかし、この急激な変化が古くからのファンには受け入れられず、新しいファン層との間にギャップが生まれたことも、ファンの数が少なく感じられる一因です。新旧のファンの間には、クラブへの愛着の仕方が異なるため、結束力が低いと捉えられることがあります。
その他にも、地域的な競争が激しいことや、クラブのイメージが「金満クラブ」と見なされがちなことも、一部のファンにとってはネガティブな影響を与えている可能性があります。また、グローバルなサッカーファンの間では、他の英国クラブと比較してマンチェスターシティの歴史が浅いと認知されていることが、ファン層の広がりを限定している側面も否定できません。
これらの理由から、マンチェスターシティのファンが少ないと感じられることがあるものの、クラブは地域社会や若手育成に力を入れ、独自のファン層を拡大しようと努力しています。このような取り組みが今後、ファン層の拡大につながることが期待されます。
有名なシティズン
マンチェスターシティのファンには数多くの有名人がおり、彼らの公の支持がクラブのイメージや人気に与える影響は大きいです。著名な支持者としては、オアシズのノエル・ギャラガーとリアム・ギャラガー兄弟が最も知られていますが、他にも多くのセレブリティがマンチェスターシティを支持しています。
ギャラガー兄弟
この投稿をInstagramで見る
ノエル・ギャラガーとリアム・ギャラガーは、英国ロックバンド「オアシス」の元メンバーであり、彼らはマンチェスターシティの熱狂的なファンとしても知られています。彼らのサポートは単なる趣味の範囲を超えており、マンチェスターシティに対する彼らの愛情は、音楽活動における彼らの情熱と同様に強いものです。
まず、ノエルとリアムのサッカーへの情熱は、幼少期に地元マンチェスターでの生活から始まりました。家族全員がサッカーを愛する環境で育ち、特にマンチェスターシティ愛は父から受け継がれたものです。彼らは、子供の頃から試合を観戦し、成長してからもその情熱を持続させています。
ノエル・ギャラガーは、クラブの公式な場でもしばしばそのサポートを表明しており、選手や他のファンとも積極的に交流しています。彼は、マンチェスターシティが重要な試合を控える際には、メディアを通じて応援のメッセージや意見を述べることがよくあります。また、彼のソロキャリアにおいても、マンチェスターシティのテーマカラーを取り入れたステージデザインや衣装を使用することがあります。
一方でリアム・ギャラガーも、兄と同じくらいクラブを公然とサポートしています。リアムは、ソーシャルメディアや公のインタビューで頻繁にマンチェスターシティの話題を取り上げ、彼の個人的な見解やチームのパフォーマンスについて熱く語ることがあります。特に試合の勝利後には、その喜びをファンと共有するために積極的にツイートを行うことで知られています。
このように、ノエルとリアムのギャラガー兄弟は、音楽界での成功を超えてサッカーコミュニティ内でも顕著な存在感を放っています。
サッカーのシティズンとは?:シティズンとマンシティの歴史
- 初期
- 最初の黄金期とその後の衰退
- 2000年代
- 2010年以降
- サッカーのシティズンとは?:まとめ
スポンサーリンク
マンチェスターシティは、1880年に創設されたイギリスのプロサッカークラブです。当初は「セント・マークス」として知られ、その後1894年に現在の名前である「マンチェスターシティ」となりました。このクラブは、長い歴史の中で多くの変遷を経験し、特に2000年代に入ってからの変化は顕著です。これを理解するためには、クラブの歴史をいくつかの重要な時期に分けて考えることが有効です。
初期の成功を収めたのは、1900年代初頭で、1904年にはFAカップで初めての主要なタイトルを獲得しました。しかし、その後の数十年間でクラブは一貫した成功を確立することができず、一部リーグと二部リーグを行き来する時期が続きました。2008年は大きな転換期であり、それはアブダビ・ユナイテッド・グループによる買収です。この買収は、クラブに膨大な投資をもたらし、その結果としてマンチェスターシティは国内外の多くのタイトルを獲得し、国際的なサッカーの舞台で名声を博すこととなりました。この時期に獲得した選手や施設の改善が、クラブの急速な成長を後押ししました。
初期
マンチェスターシティFCは、その初期の年から英国サッカーの歴史に名を刻んでいます。このクラブは1884年に「セント・マークス」として設立され、最初のユニフォームには現在の理由は不明ながら、マルタ十字が飾られていました。1899年には二部リーグを制覇し、イングランドサッカーの最上位リーグである一部リーグへと昇格しました。
1904年4月23日、マンチェスターシティはその最初の大きな栄誉を獲得します。クリスタル・パレスでのFAカップ決勝でボルトン・ワンダラーズを1-0で破り、このシーズンはリーグでも準優勝となり、マンチェスターのクラブとして初の主要なタイトルを手に入れました。しかしながら、その後の数シーズンは八百長の疑いで、1906年には主将のビリー・メレディスを含む17人の選手が処分を受け、その多くがライバルであるマンチェスター・ユナイテッドへと移籍しました。
1920年には本拠地ハイド・ロードのメインスタンドが火災で焼失し、1923年にはマスサイドにある新しい専用スタジアム、メイン・ロードへと移転しました。1930年代には、マンチェスターシティは2回連続でFAカップの決勝に進出し、1933年はエヴァートンに敗れましたが、1934年にはポーツマスを破りカップを獲得。この間、1934年のFAカップでスロークシティとの試合には史上最多の84,569人の観客を動員し、2016年まで破られなかった記録を樹立しました。
このクラブは1937年には初めて一部リーグのタイトルを獲得するも、翌年には得点王にもかかわらず降格。その後も何度かの波乱に見舞われながらも、1950年代には再びFAカップで成功を収め、1956年にはバーミンガム・シティを3-1で下し、トロフィーを手にしました。その試合でのゴールキーパー、バート・トラウトマンは、試合中に首を骨折しているとは知らずにプレイを続けたことでも知られています。
最初の黄金期とその後の衰退
マンチェスターシティは1960年代後半から1970年代にかけて、クラブ史上初の黄金期を迎えました。1963年にセカンドディビジョン(2部リーグ)への降格を経験した後、1965年にジョー・マーサーとマルコム・アリソンの経営陣が就任し、その初年度にセカンドディビジョンのタイトルを獲得。その後、1967-68シーズンにはマンチェスターユナイテッドを抑えてリーグチャンピオンシップを獲得しました。この成功の波に乗り、1969年にはFAカップ、1970年にはヨーロッパカップウィナーズカップを獲得するなど、国内外のトロフィーを次々と手に入れました。
しかし、1970年代の成功後、クラブは長期的な衰退期に入ります。1979年にマルコム・アリソンが再び監督に就任しましたが、彼の要求による高額な移籍金での失敗が続きました。1980年代には、クラブは7人もの異なるマネージャーが指揮を執り、1981年のFAカップ決勝でトッテナムに敗れるなど、苦難の連続でした。この間、1983年と1987年にはトップリーグから降格するなど、クラブは低迷を続けました。
1990年代初頭、クラブは一時的な回復を見せ、1991年と1992年にリーグで5位に入るなどの成績を残しましたが、ピーター・リードの退任後は再びクラブの運命は下降しました。プレミアリーグの創設メンバーとしてスタートしたものの、最初のシーズンを9位で終えた後、1996年には三部リーグへの降格という歴史的な低迷を経験しました。この期間は、かつての栄光を失ったクラブにとって、非常に困難な時期であったことが窺えます。
2000年代
この投稿をInstagramで見る
マンチェスター・シティは、1990年代末から2000年代初頭にかけて厳しい時期を経験しましたが、その後の回復と2回のオーナーシップ変更がクラブの未来を大きく左右しました。ジョー・ロイル監督の下での初めての挑戦に成功し、ドラマチックなセカンドディビジョン・プレーオフファイナルでギリンガムを破り、昇格を果たしました。しかし、その後すぐに再びトップリーグへの昇格を遂げたにもかかわらず、2001年には再び降格してしまいます。
この状況を変えるために、ケビン・キーガンが監督に就任し、2001-02シーズンにはファーストディビジョン(現在のチャンピオンシップ)で優勝し、即座にトップリーグへ返り咲きました。このシーズン、クラブは得点とポイントでクラブ記録を更新しました。2002-03シーズンはメイン・ロードでの最後のシーズンとなり、ライバルのマンチェスター・ユナイテッドに13年ぶりに勝利を収めました。
2007年にはスヴェン・ゴラン・エリクソンがクラブ初の外国人監督として招かれましたが、成績が低迷し2008年に解任され、マーク・ヒューズが後任となりました。同年、クラブはタイの実業家タクシン・シナワートによって買収されましたが、彼の政治的問題により資産が凍結されるという事態に。その後、2008年にアブダビ・ユナイテッド・グループによる買収が行われ、クラブは大規模な資金を投入してロビーニョを始めとする多くの高額選手を獲得しました。しかし、このシーズンはリーグ10位とパフォーマンスは大きく改善されませんでしたが、UEFAカップでの好成績を収めました。
2009年の夏、クラブはさらなる投資を行い、多額の費用をかけてギャレス・バリー、ロック・サンタクルス、コロ・トゥーレ、エマニュエル・アデバヨール、カルロス・テベス、ジョレオン・レスコットを獲得しました。このシーズンの終わりには、ロベルト・マンチーニが新しい監督として迎えられ、プレミアリーグで5位となり、UEFAヨーロッパリーグへの出場権を獲得しました。
2010年以降
マンチェスター・シティは、2011年に30年以上ぶりとなる主要なファイナルであるFAカップに到達し、その準決勝でライバルのマンチェスター・ユナイテッドを破りました。決勝ではストーク・シティを1-0で下し、1976年のリーグカップ以来となる主要なトロフィーを獲得しました。この成功は、続く2011-12シーズンにも波及し、トッテナムに対する5-1の勝利や、オールド・トラフォードでのマンチェスター・ユナイテッドに対する記録的な6-1の勝利などがありました。シーズン終盤にフォームが落ちながらも、最終的には劇的な形でプレミアリーグのタイトルを獲得しました。この勝利は、シティがプレミアリーグをゴール差で初めて制した例となります。
その後のシーズンでは、ロベルト・マンチーニ監督の下で成績が振るわず、マンチーニは解任されマヌエル・ペジェグリーニが新監督に就任しました。ペジェグリーニの最初のシーズンでは、プレミアリーグタイトルとリーグカップの両方を獲得しましたが、その後の成績は徐々に低下しました。
2016年には、FCバルセロナやバイエルン・ミュンヘンの元監督であるペップ・グアルディオラが新たに監督に就任しました。グアルディオラの最初のシーズンはトロフィーなしに終わりましたが、2017-18シーズンにはプレミアリーグを史上最高のポイントで制覇し、多くのクラブ記録とリーグ記録を更新し様々なタイトルを獲得。この成功は、グアルディオラの指導のもとで続き、2017年から2023年の間に5回のリーグタイトルを含む数多くの国内カップを獲得しました。2018-19シーズンには、英国男子サッカーで前例のない国内三冠を達成しました。さらに、2020-21シーズンにはクラブ史上初のチャンピオンズリーグ決勝に進出しました。
2022-23シーズンはクラブ史上最も成功したシーズンとなり、プレミアリーグ、FAカップ、チャンピオンズリーグのトレブルを達成しました。このように、ペップ・グアルディオラのもとでマンチェスター・シティは、英国および国際舞台で前例のない成功を収めています。
サッカーのシティズンとは?:まとめ
- シティズンはマンチェスター・シティFCのファンの愛称である
- 愛称はクラブの公式ニックネーム「シティ」から派生した
- 「シティズン」の語源は英語の「市民」、つまり地元の住民を指す
- マンチェスター・シティはイギリスのプレミアリーグに所属
- 地元マンチェスターに特に人気があるとされる
- マンチェスターユナイテッドとは長いライバル関係にある
- 2008年のアブダビ・ユナイテッド・グループによる買収以降、急速に力をつけた
- 投資により高価な選手獲得や施設整備が行われた
- クラブは「金満クラブ」との批判も受けている
- マンチェスターシティの愛称は「Man City」とも表記される
- 地域社会や若手育成に力を入れる取り組みが行われている
- 有名な支持者にはオアシズのギャラガー兄弟がいる
- ノエル・ギャラガーは公の場でしばしばサポートを表明している
- リアム・ギャラガーは試合の勝利をソーシャルメディアで頻繁に共有する
- クラブの歴史は1880年に創設されたことに始まる
- 初の主要なタイトルは1904年のFAカップでの勝利である